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京都・西陣爪掻本綴織の工房で見つけた、美しさの断片

京都・西陣爪掻本綴織の工房で見つけた、美しさの断片

ARCELFの最初のコレクションは、京都・西陣の伝統工芸「西陣爪掻本綴織(つめかきほんつづれおり)」から生まれました。


京都で生まれ育った私にとって、織物は幼い頃から身近な存在でした。だからこそ、最初のコレクションは織物から始めたいと思っていました。そして、そのはじまりは故郷である京都でありたいとも。


その思いを胸に訪ねたのが、西陣爪掻本綴織の工房「奏絲綴苑(そうしつづれえん)」です。

爪を道具に、一糸一糸、手で織る


西陣爪掻本綴織は、西陣織の中でも最高峰とされる技法のひとつ。


職人は自らの爪をやすりで削り、細かくギザギザに刻みます。

その爪を道具として使い、一糸一糸、横糸を掻き寄せながら織り進めていく。
すべて、職人の目と手と感覚だけで。

平野さんが見せてくれた糸は、指先でつまむことさえ難しいほど細いものでした。その糸を、わずか3センチの幅に140本以上通していく。色は多いものでは4,500色以上を使い分け、100色を超える糸を一本ずつ手で合わせながら色をつくっていく。


気の遠くなるような時間と集中力を必要とする仕事です。


なかでも印象的だったのは、綴織が完成するまで表の柄を見ることができないということ。職人は作品を裏向きの状態で織り進め、時折表面を鏡に映しながら確認して進めていきます。

完成形を信じて、見えないまま積み重ねていく。


ものづくりとは、本来そういうものなのかもしれない。

すぐに答えが見えるわけではなく、見えない未来を信じながら、一段ずつ積み重ねていく。綴織の織機の前で、その本質に触れたような気がしました。

70年間綴織に向き合ってきた、平野喜久夫さん


工房でお話を伺った平野喜久夫さんは、15歳から綴織と向き合ってきた職人です。
70年という歳月を、この技術とともに歩んできました。


「10年ぐらいしたらまあまあ織れるようになるもんですけども。どうしたら織れるか分かるまでは、やっぱり40年ぐらいかかります」

若い頃は家業の帯織りに限界を感じ、大きな会社へ飛び込んだ。「より良いものを作りたい」、「もっと表現の幅を広げたい」。そんな思いで飛び込んだ世界でしたが、そこには別の現実もありました。


「3年前に織ったもんと同じのを織っても、値段が下がってたりするんです。それはやっぱり不満でしたんでね」


腕が上がると、仕事は速くなる。けれど、その価値が正しく評価されるとは限らない。そうした矛盾と向き合いながら試行錯誤を重ね、約50年をその会社で過ごしました。


そして定年を迎えた後、平野さんは工房「奏絲綴苑」を立ち上げます。


「そうしなかったら、消えていくかなって感じがしてね」

「最初は、やっぱり産業として残していきたいという思いが強かったんです。でも現実はなかなか難しい。人が育っても独立していくし、職人が最低賃金では続けていけない世界でもある。そういう現実を見てきたからこそ、今は産業として残すというより、この技術そのものを楽しみながら、いろんな形で残していきたいと思っています」


工房には、高校生から通い続ける大学生や、主婦さんの姿もありました。
平野さんは、あえて難しい仕事を任せるのだといいます。

「最初は難しいのをやってもらいます。ひとつできたら、ボンっと上手になれるように」


簡単なことを繰り返すのではなく、一段高い壁を越えることで大きく成長する。その考え方にも、70年もの時間綴織と向き合ってきた平野さんらしさが現れていました。

そして、平野さんが何より楽しみにしているのは、人を驚かせることだといいます。


「一番面白いのは、自分の思う表現の仕方を見せることによって、人の驚きが楽しみだったね。『うわぁ、こんなんできるんや』っていう声が、やっぱり一番聞きたい」



90歳を目前にした今も、平野さんは毎日工房に立ち続けています。


「自分自身が楽しみながら、その楽しさを伝えていきたい。それが一番の願いです。今はもう死ぬまでやろうと思ってるしね。そう思えるものに生涯出会えて、巡り合えたことがほんまに幸せやなと思います」


工房を後にしながら、私はずっとその言葉を反芻していました。

70年かけて積み重ねてきたものの重さと、それでもなお前を向き続ける姿に、胸を打たれたのです。